おはようございます Asadaです。
きょうもがいこくじんのかたがふしぎにおもっていることをせつめいしたいとおもいます。
きょうのてーまはとかいがひろいということです。
にほんででんしゃにのってすうじゅうっぷんはしってもまだとかいということがふしぎだといわれています。
じつはこのようにとかいがひろくなったのはきんねんじょじょにそうなったといえますが、そのなかでれきしてきなおおきなてんかんてんがありました。
それがめいじいしんということになっています。
めいじいしんまえのえどいまのとうきょうはじんこうがひゃくまんにんをこえていたといわれています。
しかしそのちいきはそんなにひろくはありませんでした。
いっぽうとうじてんのうはきょうとにいらっしゃいました。
このようにてんのうがきょうとそしてぎょうせいのしゅとなるばくふがえどいまのとうきょうにいるじょうたいです。
じんこうはとうじひゃくまんにんをこえていましたがまだいまほどおおきなまちではありませんでした。
とはいえにほんさいだいのへいやはかんとうへいやです。
さてめいじいしんはどんなじょうきょうでおこったかをせつめいします。
とうじえどばくふはかいがいからのかいこくについてのようぼうをうけていました。
ぐたいてきにはあめりかからこられたぺりーそうとくがかいこくをもとめました。
もくてきはつうしょうじょうやくをむすぶことでぼうえきをすることをもくてきとしていました。
しかしとうじのにほんはにほんいがいのあじあのくにぐにがおうべいれつきょうにしょくみんちかされることをしっていました。
とうぜんにほんはしょくみんちかにはなりたくありません。
そこでとうじのばくふはかいこくはしたいけれどもしたばあいにはにほんがしょくみんちかされるというけねんをすてきれずにいました。
いっぽうとうじかくはんのわかいひとたちをちゅうしんにかいこくをもとめるこえもありました。
そしてそれがしょうとつするじきがきました。
それがめいじいしんになります。
けっかてきにめいじいしんによってにほんはかいこくをすることになりました。
そしてそのときにきまったおおきなぽいんとになるのがてんのうへいかがきょうとからえどにくるということです。
きょうとはせんねんいじょうのれきしがあるまちです。
とうぜんきょうとのひとたちがてんのうがきょうとからさることははんたいになります。
そこできょうとからえどにいくのはいちじてきなものとしてあつかいけっかてきにとうきょうにすむことになられました。
てんのうがいるばしょとせいじのちゅうしんとなるばしょがこのときにひとつになりました。
めいじいしんをすすめたひとたちのなかではあたらしいこっかのせいじはあたらしいばしょでやったほうがよいというかんがえかたがあったようです。
けっかてきにとうきょうにてんのうへいかをおむかえするというかたちになりました。
そこでにほんがひとつとなってかいがいとのたいおうをすることになりました。
そしてとうきょうはけいざいてきにもじょじょにおおきなまちとなりました。
1800ねんだいにはこうぎょうてきにおおきなまちにもなりました。
そしてまえもおはなししましたようにかんとうへいやはにほんでもっともおおきなへいやです。
まちがじょじょにひろがりそこにすむひともおおくなってきたというのがじつじょうだとおもっています。
そしてそこはせいじのちゅうしんとけいざいのちゅうしんがいっちしたまちになりました。
てんのうへいかがいてそしてせいじのちゅうしんとなるこっかいがうんえいされさらにけいざいのちゅうしんとなるようなまちにはってんしていきました。
けっかてきにげんざいはとうきょうとだけでみると1000まんにんをこえるじんこうになっています
いっぽう、かんとうへいやぜんたいではやく4000まんにんをこえるまちだといわれています。
とくにでんしゃぞいのちいきはそのでんしゃにそってはってんするということもあってでんしゃにのっているときにばあいによっては1じかんていどはしってもまちがつづくそういうけしきがごらんになります。
ちなみにとうきょうとだけでもでんしゃのろせんのかずは60いじょうありますそしてえきのかずは600いじょうあります。
わたしもぜんぶのえきのなまえはしりません。
このようなりゆうでとうきょうのろせんでは1じかんていどはしってもずっととしがつづくということになっています。
もしこれいがいになにかしりたいことがありましたらこめんとでおしえてください。
じかいいこうのどうがづくりのさんこうにいたします。
さいごまでごらんになっていただきありがとうございました。
またらいしゅうおあいしましょう。